2008年8月28日木曜日

短歌を作ることの効用

3期生の同窓会に参加した際、3年の担任で16年前に亡くなられた二宗先生の思い出話となり、先生の霊前に同窓会の報告をしようと8/27にご自宅に伺いました。



奥様はお元気で、深夜まで長話をしました。今年は17回忌にあたり、先生の高校時代の思い出の品も少しずつ整理していきたいと話され、私たちを担任していただいた3年間に作成した短歌集3冊と当時発行されていた雑誌「芳泉」を形見分けとしていただいてきました。



1年生の歌集の冒頭には当時の大原利貞校長が序文を寄せています。



詩歌は散文に比して、歴史的に、また洋の東西にわたって高い地位に置かれた。
思うことを文にするのは容易ではないが、韻律に乗せて表現し、さらに言外に余韻を感ずるような詩歌を作るには、それぞれの国の「ことば」についての感覚や教養がなければ不可能である。
文を作るにも、彫心鏤骨の苦しみがあるが、詩歌に表現するには、それ以上の労をともなうものである。



同級生の短歌を読んでみると、そのみずみずしい感性に驚きを覚えます。
この感受性の強さこそ芳泉高校、ひいては日本の強みの源泉であったように思われます。
大原校長も指摘していますが、文章を書くよりも詩を作る方が数倍難しいものです。そしてその訓練を3年間行うことによって、単なる国語力だけでなく物を見る目が何倍も鋭くなったように思われます。



私の短歌は今読み返すと同級生の中では平均点以下の出来ではありますが、こういった訓練は今の仕事の中でも生きているように思います。



ちょうしん-るこつ 【彫心鏤骨】
心に彫りつけ骨に刻み込む意で、非常に苦心して詩文などを作り上げること。また、単にたいへんな苦労をすること。▽「彫心」は心に刻み込む意。「鏤骨」は骨に刻みつける意。大きな苦労のたとえ。「鏤」は「ろう」とも読む。「心こころに彫ほり骨ほねに鏤きざむ」と訓読する。



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