2008年6月13日金曜日

4期の則安先生の講演会案内(岡山県の肝炎対策)

6月20日に4期の則安先生の講演会「岡山県の肝炎対策」がホテルグランヴィア岡山で開かれます。



今年4月からはウイルス肝炎に対するインターフェロン療法の医療費補助事業も始まっており、ウイルス肝炎についての関心が高まっています。



先日の肝臓学会でもウイルス肝炎、特にC型肝炎については新知見が多く発表されており、タイミングの良い時期の講演になると思います。



興味のある先生方は是非ご参加下さい。080620





2008年6月11日水曜日

3期の武智先生に会ってきました

先週、肝臓学会で松山を訪れた際に、同地で開業されている武智先生と約30年ぶりに再会しました。



奥様と透析医院を開業されており、多忙の日々を送られていますが、大変お元気で特にブログは充実したものになっています。再会した日の晩のことが写真入りで詳しく紹介されており私としては少々赤面モノですが、一度覗いてみてあげて下さい。



http://ulalaulala.jugem.jp/



2008年6月9日月曜日

肝臓学会(松山)に参加して

6月5日~6月6日にかけて松山で第44回日本肝臓学会が開催され、参加してきました。



C型肝炎、肝硬変、自己免疫性肝疾患、薬物性肝障害のセッションを聞いて来ました。



C型肝炎のセッションでは、現在、標準治療となっているペグインターフェロン+リバビリン併用療法について、ウイルス量の反応で72週にすべき症例の選択がかなり正確に行えるようになったこと、新規の抗ウイルス剤であるプロテアーゼ阻害剤・telaprevir (VX-950)の本格的な治験が今秋から開始になること、 高脂血症治療薬であるフルバスタチンの併用療法でウイルス消失率が上がってくることなどが報告されていました。



肝硬変については、脂肪性肝炎の症例が増加していることが注目され、肝癌合併例の1.6%、非合併例の2.7%が脂肪性肝炎であることがわかりました。



自己免疫性肝炎のセッションでは高齢者、男性、急性肝炎発症例といった非典型例が案外多く、薬物性肝障害との鑑別が難しい症例もあることが報告されていました。



薬物性肝障害のセッションでは最近10年を前後期に分けると、市販薬の頻度が高くなってきたこと(8.1%→10.9%)、アレルギー性機序を疑わせる好酸球陽性率が低下していること(31→24%)、症状を伴わない症例が増加していることがあげられていました。また、従来から診断に重要視されているリンパ球幼弱化試験の陽性率は36%であることがわかりました。



2008年5月4日日曜日

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代」

城繁幸氏の新刊「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代」を読みました。
城氏の著作は日本的成果主義の問題点を鋭く描いた 「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」、日本の年功序列制度の行き詰まりと若者の正規雇用の喪失の関係を明らかにした「若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来」に続いて3冊目を読んだことになります。



本書の中で特に印象に残ったのは、高校生における理系志望校の変化です。 東大、京大、早慶といった一流校全体への進学熱が下がって、代わって彼らが目指すようになったのが医学部で、地方国立大の医学部などは、既に偏差値で東大理工系を上回るケースも珍しくない、とのことです。
城氏は 「大企業はこの先割に合わないだろう、という事実を予想し、子供により良いレールを求めた結果、企業から医業へとシフトしているのだろう。 「おそらく金持ちになれそうだ。」というたった一つの理由のために、その他すべての可能性を捨ててしまうようでは、昭和的価値観と何ら変わらないのだ。医者というのはけして片手間にできるような仕事ではない。切った張ったが好きでない人間にとっては、けして幸福とは言えないはずだ。」と述べています。



これは身につまされる文章です。最近は患者のクレームで簡単にポキンと折れたり、肉体的にハードな外科系を志望しない若手医師が増えていますが、こういった背景があることを知りませんでした。自分自身の将来像を持っていない若手医師も多く、こういった若手に多様な生き方を示して目標と希望を持って仕事に励むことができる環境作りに力を入れたいと思います。



 



2008年4月20日日曜日

HHV-6が慢性疲労症候群やうつ病に関連

4月17日~18日に開かれた日本感染症学会の教育講演15で東京慈恵医大ウイルス学の近藤一博先生が「ヘルペスウイルスの潜伏感染と慢性疾患」と題する講演をされ、その中で、HHV-6というウイルスが慢性疲労症候群やうつ病と関連している成績を示されました。



HHV-6はマクロファージや脳のグリア細胞に持続感染しているため、再活性化すると免疫異常や精神神経障碍をおこす可能性があること、再活性化を示唆する抗体が慢性疲労症候群でうつがある症例、うつ病、躁うつ病で健常人より高い陽性率であること、再活性化は仕事による生理的な疲労でも起こりうることを示されました。
こういう成績を見ると、無理のし過ぎは良くないと思われました。
詳しい内容がネット上に公開されています。興味のある方は下記HPをご覧下さい。



http://www.jst.go.jp/shincho/db/seika/2005_s/2005_s_3/2005_s_3_hiroukan/2005_s_3_hiroukan_1_1_4.htm



2008年4月11日金曜日

1期生の田淵さんのHPを見て②

田淵さんのHPで目を引いたのが、ドバイ観光記事でした。



休み期間に、アラブ首長国連邦のドバイとアブダビと中国の特別行政区の香港とマカオを訪問した。ドバイとマカオは建築ラッシュで、特にドバイはワッと驚くようなすごい建築が立ち並んでいた。



ドバイの超高層ビル群や香港のフィナンシャルビルにも、びっくりしたが、一番凄いと思ったのは、アブダビに建設中のシェイクザイードモスクであった。一点の隈もない白い大理石に、きれいな石がアラビア風に象嵌されていた。内部の飾りもすばらしいものであった。



ドバイに関連した医療の話題としてはメディカルツーリズムに力を入れていることです。



Medical Tourism Dubai - Healthcare Tourism Dubai
http://www.recoverdiscover.com/medical-tourism-dubai.php



メディカル・ツーリズムとは、治療や手術を受けるために他国に旅行することをいい、医療と観光という高い技術力とホスピタリティとを組み合わせた複合サービス産業です。
アメリカではメディカル・ツーリズム市場が毎年30%成長しており、2010年までに400億ドル市場になると言われています。 メディカル・ツーリズムでのアメリカ人の行き先はインド、タイ、ドバイが多く、シンガポールでも整備が進められています。
http://muratainc.com/review/y2008/vol113.html



こういった文章を読むと、医療費抑制で、診療が萎縮傾向にある日本とは対極にある医療のように思えます。そのうちに技術を持ちながら、抑制だらけで閉塞感を強く持った日本の医師達が海外、特に東南アジアのメディカルツーリズムの担い手として流出する時代が来るかもしれません。



2008年4月6日日曜日

1期生の田淵さんのHPを見て①

拡大内視鏡について調べることがあり、Googleで検索すると1期生の田淵さんのHPが目にとまりました。  http://www2u.biglobe.ne.jp/~a000/



HPにはご自身が医師になる課程で体験された病気の経験から導き出された医師のあるべき姿や世界で今おこっていることなどが書かれており、知的好奇心が刺激されました。
何回かに分けて感想を述べていきたいと思います。



医師の原点について田淵さんは以下のように記載されています。病気を体験した医師ほど患者さんの立場にたって考えられる医師はいないと思いますし、仕事に対する思い入れも人一倍であることが多いように思います。また、思い入れが強い分、少々の困難があってもそれを乗り越えることができるように思います。私自身は、大病を患ったことはありませんが、父親の大病が自分の現在の専門分野になっており、多少田淵さんの生き方に似ているように思います。自分の原点を見直すいい機会を与えてくれたと思います。



大学のとき、私自身が難病を患い、特定疾患患者となって、病気の怖さ・切なさを嫌というほど味わい、病気を治す、患者を治すという医師の使命の大切さを、心の底から実感した。だから、自らの専門を決めるとき、迷いは一切なく、自分の病気を専門とした。



下記の文章にも共感を覚えます。私が専門にしている肝臓癌も20年前には5年生存を目標にしていましたが、今は10年生存が目標となり、さらには発癌予防も可能になってきています。ただ、ここまで来るまでには多くの患者さんの死がありましたし、いまだに不条理な死を迎えないと行けない患者さんがいることも事実です。少しでもいい医療を提供できるよう日々切磋琢磨することが医師の使命であり、その積み重ねが気がついたら予後を改善していたことにつながると思います。



医師国家試験に合格して臨床に入ってみると、私の病状などとは比べものにならない、悲惨な患者さんが多数いた。治らない病気も数多く、効果的な治療法がなく、死んでいく人々の山であった。治療法があって克服された病気と、そうでなく克服されていない病気、その差は歴然としていた。川におぼれて死のふちへと流されていく人々を救うには、方法があれば、どんなに費用がかかろうとも、救うというのが、24年前の常識であった。「人の命は地球より重い」当時の閣僚の言葉である。