2008年2月16日土曜日

小松秀樹「医療崩壊」に対する慧眼

本ブログでも小松秀樹氏の医療に対する意見を紹介してきましたが、最近、小松氏の「医療崩壊」に対して深層をえぐるような感想が書かれ、そして解決法といえるか、行き着く先についての冷静な分析が書かれているブログを発見しました。



http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20070117/1168961863



全文は非常に長いので、気になったところだけ抜粋します。それにしても、これが同じ医師かと思うほど、深い分析で完全に脱帽しました。文中に出てくる山本七平は、私も最近興味を持っており、本ブログでも紹介していきたいと思います。



 山口氏は、「それが起こったか、起こらなかったかというのは大きな問題ではない。仮に起こったとしても別にどうということではない」という乾いた姿勢が大事なのだという。だが、おそらく、こういうことがおきるのは湿った日本に限ったことではなく、フランスでもアメリカでもおこるのであり、人間の根っこの部分にひそむ何かがそういうものを起こさせているのである。たまたま現在の日本の医療はそういう強い風の中にいるということであろうが、その風向きが、医療の本質を啓蒙したり、科学的な理解を普及させたりすることで変るとは思えない。新たなマス・ヒステリーの対象が見つけられることにより、風が別の方向へ去っていることがいずれおきるというだけであろう。



 山本七平氏の「「空気」の研究」(山本七平ライブラリー① 文藝春秋 1997年)に、山本氏が、日本の道徳とは「現に自分が行なっていることの規範を言葉にすることを禁じており、それを口にすれば、たとえそれが事実でも、“口にしたということが不道徳行為”と見なされる。したがってそれを絶対に口にしてはいけない」というものである」というと、それをきいたある雑誌記者が「そんなことを言ったら大変なことになります」という場面がある。



 山本氏がよく例にあげるのが戦艦大和の出撃である。だれがどう考えてもそれは暴挙であり、愚挙であった。当事者たちが何よりもよくそれを知っていた。理性による判断ではそういう結論に当然なるしかない。しかし、その最高責任者は、後にいっている。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない。」 たぶん、不二家の責任者もそういうのであろうと思う。あとから思うと異常なことがその渦中においては当然と思われることはしばしばあるのである。



 日本は「空気」の支配する国であり、それに対抗する手段は「水をさす」ことしかないと山本氏はいう。山本氏は、ある時期、公害問題についてはまったく理性的な科学的な議論はできなかったという。カドミウムによるとされているイタイタイ病は実際にはそうではないのだという論は根強くあるらしいが、そういう議論は一切できない時期があったらしい。イタイイタイ病患者の悲惨な病状がすべてであり、その患者さんたち救済に有効に働くものは善、それを阻害するものは悪という「空気」ができているところでは、科学的議論、理性的な議論などは一顧だにされないのである。



 今、医療ミスのために悲惨な状態になっている患者さんが目の前にいるとすれば、医療の限界・人間の能力の限界からいってそういう事態はある確率の上で避けれられない、などという議論が通用することは期待できないとわたくしは思っている。その患者さんの救済に役立つことが善、それを阻害することは悪なのであって、それが「空気」である。それに水をさせるものは何か? それがわたくしは「医療崩壊」なのではないかと思っている。医療がある程度、本当に崩壊しないと、現在の医療を取巻いている「空気」はなかなか変らないのではないかと思っている。



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